冬の動物園の象と麒麟のように



 むかし、冬の動物園に行ったことがある。
 どうして冬に動物園に行ったのか、それはもう忘れてしまったけれど、動物たちはみな冬の風に身を縮ませていたのはいまでも憶えている。
 象や麒麟がゆっくりと幼い自分に近づいてきた情景が遠くに行っては近づくということを繰り返している。はらはらと雪が降るなか、動物たちの目はただ遠いどこかに向いていたような気がした。
 東風谷早苗が目を覚ましたのは身を切るような寒さからだった。早苗は布団から出ると、ゆったりとした浴衣のうえに羽織を着た。
 寝室のふすまを開けると、目の前には雪の積もった守矢神社の境内が見えた。早苗がふうっと息をはく。白い息が早苗の口から出て、すぐに消えた。
 空は鈍色の雲に覆われており、そこからしんしんと雪が降っている。
 きっと洩矢様も八坂様もまだ起きてこられないだろう。早苗は下駄をはいて、境内に出る。雪はまだ積もり始めなのか、やわらかい。素足に雪が触れるたび、ひんやりとしたものが早苗の身体を伝わった。
 境内の真ん中まで来たところで早苗は空を仰いだ。雪が早苗の頬に触れ、そしてすべり落ちる。早苗の右手はそのあとを確かめるかようになぞった。
 夢、と早苗は思った。どうして急にむかしの夢なんて見たのだろうか。夢なんていつもへんなものばかり見ていたのに。
 まるで、むかしのことを思い出しているかのような夢だ。
 あのときもこれくらいの雪だっただろうかと早苗は思い出そうとする。しかし、あまりにも幼いころの記憶はもうばらばらになっていて、夢を見ていたときのような鮮明な映像のように思い出すことはできない。
 その夢ももう不鮮明になり始めている。
 象と麒麟の姿もしだいに遠く、もやのかかったものになり始めている。
 いつの間にかそれはピントの合っていない写真を見ているような感覚になってしまう。手触りも匂いも音もしないうすっぺらな感覚だ。
 早苗はいつか幻想郷に来る前の出来事もそうなってしまうのだろうかと思う。
 いつか、冬の動物園の象と麒麟のように。
「早苗? どうしたの?」
 早苗が振り向くと、洩矢諏訪子が縁側から早苗を見ていた。
「雪が珍しかったので」と早苗は言い、縁側に戻る。下駄を脱いで廊下に足をつけると、自分の足が冷たくなっていることに気づいた。
諏訪子は早苗を見て、「風邪ひいちゃうよ」と言った。
 早苗と諏訪子はそのまま居間に行き、囲炉裏に火をつける。両足を囲炉裏に向けて、早苗は「もう二度目の冬ですね」と諏訪子に言った。
「そんなに経つんだね」と諏訪子は答える。
 身体が温まり始めると、いっそう両足の冷たさがきわだった。足の裏が無性にかゆくなる。しもやけになったのだろうと早苗は思った。
「ねえ、早苗、本当は何をしていたの?」
 諏訪子が心配そうな目をして早苗をのぞきこんだ。早苗は両足に両手で握りながら、
「ちょっと象と麒麟のことを思い出していたんですよ」
「象と麒麟?」
「そう、象と麒麟です」
 そう言って、早苗は諏訪子に今朝見た夢の話を始めた。


*あとがき
 豆腐です。こんにちは。
 これは08年の冬ごろに書かれたものを手直ししたものです。
『郷愁』もそうなのですが、これも当時書いていたオリジナル小説(これは別サイト、別HNでやっています)の影響をがっつりと受けています
 過去の記憶がどこかその輝きを失って、まるで写真を見るかのように実感のないものになってしまう。
 こういったテーマは去年から関心のあるものでありました。(実はいまでもそうです)
 当時の私はこの続きを書く気でいたようですが、いまいち構想メモみたいなものが見つからないあたりは行き会ったりばったりで書いていたのだろうと思います。
 それでは最後にこんなものしか書けませんが、これからも豆腐屋をよろしくお願いします。(09年7/25 豆腐)


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